明治から大正~昭和へと時代が移ってく過程で、葬列中心の葬儀が少なくなり、祭壇中心の葬儀に変わっていきます。これと同時に写真の普及も進み、葬列の過程を記録するための絵巻物は、次第に写真集に置き換わっていきます。

 祭壇中心の葬儀には絵巻物は向かず、写真集の方が適していたことでしょう。こうした葬儀写真集は近親者や関係者への返礼品としてだけでなく、販売を目的にしたものも作られていきます。この写真集は、葬儀の一連の記録を目的としていますので、それぞれの写真や肖像写真にはイメージの意味を説明するキャプションが必ず添えられています。


「尾崎紅葉の葬儀写真集『あめのあと』より」

 1903(明治36)年に没した尾崎紅葉は、葬儀写真集『あめのあと』を遺しています。これは、壮健時の肖像写真~入院~退院~往生~解剖~葬式~青山墓地と、生前から埋葬までを写真で記録したものです。

wikiには下記の記述があり、このあたりの経緯が写真集として記録されているわけです。

 「1899年(明治32年)から健康を害した。療養のために塩原や修善寺に赴き、1903年(明治36年)に『金色夜叉』の続編を連載(『続々金色夜叉』として刊行)したが、3月、胃癌と診断され中断。10月30日、自宅で没した。享年37。戒名は彩文院紅葉日崇居士[1]。紅葉の墓は青山墓地にあるが、その揮毫は、硯友社の同人でもある親友巌谷小波の父で明治の三筆の一人といわれた巌谷一六によるものである。」


『故伊藤侯爵國葬写真帖』装飾された枠と肖像
(歴史系総合誌「歴博」第125号 山田慎也)

 1909(明治42)年には、伊藤博文の国葬が行われ、『故伊藤侯爵國葬写真帖』が作られました。これは小川一真が撮影した、大隈重信に献呈したものだとうい記述がこちらにありました。

 

『明誉真月大姉葬儀写真帖』表紙
(『『明誉真月大姉葬儀写真帖』からみた近代の葬列の肥大化』山田慎也 2015年より)

 1911(明治44)年、日本橋魚河岸の魚問屋荒木平八氏の老母、照氏の葬儀写真を35日忌法要に際して印刷し冊子にした『明誉真月大姉葬儀写真帖』。これは関係者に配布したもののようです。

 

『御大葬写真帖』

 
 1912(明治45/大正元)年の7月30日、明治天皇崩御。大喪の礼は9月13日。明治天皇の葬儀の記録写真集である『御大葬写真帖』は市販され、大ベストセラーになりました。これも前述の小川一真による撮影。
ちなみに、 明治30年、『英照皇太后陛下御大葬写真帖』というのもありました。

 一般人がこれを購入するのは、例えば熱狂的なファンが、そのアイドルの葬儀の写真集を手に入れたくなる気持ちに通じるでしょう。またアイドルの関係者にしてみれば、儀式次第の記録を残すことは後々のために役立ちますし、参列者にとっては誰がどのように参列し何を行ったか? という自己満足あるいは政治利用のためにも利用価値が大きいでしょう。

 

 それにしても現在の一般的な感覚では、「葬儀の写真集? なにそれ? 」かもしれませんが、平成元年には『昭和天皇大喪の礼写真集』(大喪の礼委員会)が出版されていますので、そういう習慣あるいは需要があるところにはあるわけです。

 もちろん、現在でも葬儀をプロカメラマンが撮影することもあり、それらの写真集を制作してのこす習慣があります。ただ、家族葬のように、葬儀自体の規模が小さくなり身内だけが参加するようになると、せいぜい自分たちで記録を残そうとしない限りは、記録として残らなくなっていくでしょう。
(個人的には、10年単位で考えると人の記憶はどんどん怪しくなってきますし、葬儀自体も大きく変わっていくでしょうから、身内ですら誰が参加したのか、どんな式次第だったのか? は記録しておいた方がよいと思います。人によっては、葬儀で写真を撮ることは不躾だというように考える人もいるようでので、念のため。)

 ともあれ、この平成時代は天皇の退位で幕をとじます。ですから、平成天皇の葬儀はこれまでとは大きく変わる可能性があります。小子高齢化、多死社会と、世の中の葬儀も大きく変化している最中ですし、これはたいへんに興味深いところです。その一つとして、『平成天皇大喪の礼写真集』はどんなものになるのでしょう。

・・・・余談・・・・

夏目漱石(wiki「夏目漱石」より)

 よく知られる夏目漱石の写真は、大喪の礼の時に撮影されたとされ、左腕に喪章が着いています。
 漱石は種痘がもとで疱瘡を病み、顔にあばたが残っていましたが、この写真には漱石が気にしていたこの跡が見受けられません。このように、写真館側でイメージに修正を加えることがよく行われていました。

 

千円札の夏目漱石の肖像画の元写真

 ちなみに、千円札に描かれている漱石の肖像画の元の写真も、小川一真が撮影したものです。

 

「臨終近い漱石。門下生らが見守る。

『漱石写真帳』には、左のような写真が掲載されているようです。

 葬儀写真集を含めこういう写真を見ると、現在の私たちが死を忌み嫌い隠蔽するのとは違い、当時の死は日常と地続きだったのではないかなぁ、と思います。もちろん、当時の写真は、一般人とっては高嶺の花であって、写真そのものも写真集も、今の私たちが考えるのとは雲泥の差があるはずですし。

 

続きます。