「ちいさな伝記」事始め、そして

「写真道場」を始めて20年目の2013年頃は、ちょうど私と同世代の親が、後期高齢者(75歳以上)になる時期にあたりました。

実家や自宅に大量の家族アルバムがあるんだけどどうしよう。処分したい気持ちもあるけれど、思い出は思い出だし・・。だけど、思い出すのも嫌なことがないわけでなし、置き場所もなし。逆に、親が勝手に処分しちゃって、何にもないんだよね。とか。思いは人それぞれ、しかも愛憎相半ばして・・、といった事案を少しずつ耳にするようになりました。

デジタル化すればいい。ということで、それを本業にした「節目写真館」のサービスが始まったのは2012年です。「親の雑誌」は2013年のスタート。写真を使って「自分史」を作ろうといったサービスや、「遺品整理業」といった業態も一般化し始めます。新聞社や出版社も同様のサービスを始めました。呉越同舟、思うところは皆同じ。人々の困ったを解決すれば人助けになるし、仕事にもなります。

気になる会社には一通り取材させていただいたり、知人経由でお話を伺ったりしました。が、自分としてはなにかすっきりしません。デジタル化サービスは十分なクォリティの割りに廉価でしたが、DVDが手元に届き「デジタル化できていることを数点確認したら、それで終わり。オリジナルは破棄される」ことになりがちだそうで、果たしてそれでいいのかと思いました。自分史は、何をどう考えても自家撞着になるのが目に見えていて、そんなもの誰が読むのだろうというのが正直なところ。人が関わって作成するタイプでは、相応に安価に仕上げるためにパターン化する必要があり、結果的には誰も彼も似たりよったりの人生になってしまう。しかも、どれもこれも、古くさい。じいさんばあさんには、このくらいが丁度いいだろうと言わんばかりの仕上がり・デザインにげんなりしてしまったのです。

「そんなものだよ人生は」とか、「本人はそれで満足しているんだからそれでいいだろう」と言われれば返答に窮します。が、果たして自分自身はそれを望むだろうか? と考えると、声を大にして「否」といいたい。ならば、自分なりのやり方でやるしかない。これがスタート地点で、本気を出して法人化しました。「写真道場」と「ちいでんのVRパノラマ(現・ちんでんVR)」と合わせて3本の柱とし、全部を合わせてよりよいサービスを実現したいな、と勢いづいたわけです。

 心しているのは次の4項目です。

    1. ちいさな伝記の目的は、人と人との関係をよりよくつなぎ、思いをリレーすること。
    2. このために、制作過程に本人や家族、関係者の参加や協力を求めること。
    3. 写真などの「実物」は、決してデジタルに置き換えられないことを認識しておくこと。
    4. 内容は理解しやすく装いも新たに、所有する喜びと人に自慢できる体裁を持つこと。

しかしまあ、自分オリジナルの方法なんてものは、自分がそう思いたがっているだけの話であるのが、よくある現実というもの。また、関係する業種の方々に話をして反応を聞くたびに、「こういうサービスは、うまくいかないんだよね」と言われ続けたことも事実です。実際問題、容易ではないことは想定していたのですが、やればやるほど、調べれば調べるほど、日本人の、とりわけ親世代の、そして私たち世代にも引き継がれつつある「人生観」「歴史観」「死生観」にとって、とてつもなく相いれない性質のサービスではないか、と思うこと多岐にわたりで、この思いは今も変わることはありません。

しかし自分が思うところを自分が思うようにやっておくことは、少なくとも自分にとって意味はあるはずだ、という一点で踏みとどまっているのが現状です。それでも運良く、年に一つ二つの案件を受けることができており、次第に実績も経験値も増えてきました。そして何をか言わんや、私自身が還暦を越して、あと10数年もすれば、この事業を始めた時の親世代に突入することになるのです。

光陰矢の如し。

そう。先は見えたし、後戻りもできない。だから今、もう少しちゃんとやるべきことをやっておかないと、やれることもやれなくなるんじゃないか。という次第で、当Webサイトを見直し、これまでを整理しながら、再出発することにしました。「写真道場」と「ちいでんVR」と「ちいさな伝記」、一見ばらばらな方向を向いているように見えるかもしれませんが、私の中で全てが一本道でつながっています。そういうことが、自然にわかっていただけるようになるよう、頑張っていきますので、これからもどうかよろしくお願いいたします。

 

2022年4月吉日