承前。

「八達嶺陵園」の墓地内に入っていきます。
今回は、主に墓石に使われている「写真」を見ていきます。

中国では、夫婦墓もしくは個人墓で、現世の名前と生年・没年、そして墓を立てた人の続柄と期日が記されます。ちなみに中国には「戒名」はありません。書き方にはバリエーションがあり、「親孝行な子供たちが建てたよ」などという自画自賛的な書き方があって、謙虚な日本人的にはちょっと笑ってしまうのですが、ここは正直でよろしい、と思います。古い話になりますが、荒木経惟さんは陽子さんご健在の頃よく「愛は直接的でないと駄目なんだよ」と仰っていましたが、これは至言ですね。関係ないか?

写真は、タイルに色を焼き付けたようなタイプの他に、墓石に点描のような感じで彫っているものもあります。もちろん、写真が使われていない墓もあります。なんとなくの記憶では、写真を使っている墓の割合が1/3くらいでないかなぁ、と思います(記憶が怪しいですが)。

革命軍だっただろう人達は国民服(?)姿であって、それはそれは誇りであったのだろうと推測されます。ここは、日本ではかなり微妙なところではないでしょうかね? 国民を守っているのだから、それに誇りをもって当然であるけれど、自衛隊は憲法に記されていない立場であるし、旧日本軍のイメージもあまり芳しくありませんから。ただ、そういうことでいえば、文化大革命だって正直どうよ、という気もします。難しいですねぇ。まったく。

それはそうと、夫婦揃っての写真が使われているのは、とても微笑ましいと思いました。あの世(中国ではどうなんだろ?)でも一人じゃないよね。と。しかし考えてみればこれはちょっと不思議で、同一時期に夫婦揃って亡くなったわけではないでしょうから、お二人とも亡くなった後で、彫ったのかな? とか、このあたりもちゃんと聞いておけばよかったです。現場にいる時は、とにかく物珍しさが先に立ってしまって・・・。

しかし、写真があって、生年・没年で、その方の時代背景がわかり、亡くなった年もわかりますから、まったく無関係な人にも、どんな方であったか、がおぼろげながら想像できるのです。とりわけ写真は、顔かたちや表情だけでなく、先に述べたよう国民服や背広などといった衣装とヘアスタイルなどで、職業や社会的立場もわかります。正確には「わかるような気がする」ということなんですが。いや、だからこそ、実際の人となりとは別に、写真によって造形される人となりがある、ことに私たちは気づいておくべきだろう、とは思うのです。



お札(金)を燃やす習慣が抜けきらないので、その予防策としての「消防」設備だそうです。


一般的な「父」「母」ではなく、「爸爸(パパ)」「妈妈(ママ)」になっています。写真は父親のみ、母親の文字は色が違うので、ご健在でないかと。


2015年11月に52歳で亡くなられ、女の子が建てた墓。母親はご健在。


44歳で亡くなられた個人墓なので、親御さんが建てられたのか? 「私たちは永遠にあなたを愛す」と。


以下 夫婦墓の写真が続きます。




これらはお二人の名前が記されていますから、共に亡くなられています。


写真はお二人ですが、名前と生年・没年はお一人だけ(どっちだろ?)ですので、お一人は未だご健在でしょう。
とういわけで、写真は先に彫るわけですな。この方は建築家かビルのオーナーだったのでしょう。


ここから個人墓。


カラー写真。


国民服。




確実に偏見なのですが、若く美しい人は余計切ないですね。


中国における「夫婦」関係と、日本のそれとでは似て非なるところがあるかもしれないなぁ、と夫婦のお墓を見て思いました。日本的には、旦那の家の墓には入りたくないとか、死後離婚とか、不倫とか、なんだかななぁ、なんですけれど。そういう話は中国にはないのかしらん。

こんな話も聞きました。

比較的最近の中国で、一人息子に先立たれた夫婦があの世で結婚させたいと願い、うら若き女性を殺して一緒に墓に埋めた、という事件があったと。
ま、日本でも人殺しはしないまでも、絵馬などのイメージの中で結婚させるとか、人形を添えることが、かつてはよくあったそうですが。

いや、しかし切ないなぁ・・・。


次回は、ちょっとすごいお墓を紹介しますよ。