先日、日本葬送文化学会で『肖像の変遷からみる「遺影」の役割』について発表したのですが、やらた緊張するわ、時間は足りないわで、ぜんぜんだったわけです。学会の先生方に教えを乞い、一応論文といえる体裁を整えて『葬送文化.19』に全文を掲載していただいています。で、書き足りなかったことを含め、もっとゆるい文章で書いておきたいな、と思い、ここに『遺影・考』と題して書き進めます。

「遺影」については、大元を辿れば、1998年に新宿コニカプラザで開催した「笑う寿像・展」まで遡ることができます。この展覧会の内容はこちらでご覧いただけます。また、当時、この写真展に絡んで記した文章はこちらで読めます。

ちなみに寿像とは、「生前に作っておくその人の像」の意味で、いわゆる遺影と考えてよいわけですが、現実的に遺影は当人が意識的に作るケースはきわめて稀です。人は誰でもいつかは死に、日本において通常の葬儀を行うのであれば、「遺影」は必須であるにもかかわらず、それを意識的に作る文化はありません。なので、いざというときに昔の写真を掘り返し、背景や衣装を合成して、急ごしらえの「遺影」を作ります。

私の要求は単純に、それはなぜか? を知り、より多くの人の遺影を今よりも素敵な写真にればよいな、ということなのです。もちろん、現状のままでいいじゃないか。縁起でもないことは考えたくない。という考え方も、感情的にわからないわけではありません。

しかし例えば、こういうのはどうでしょう。



中国のお墓の写真ですが、故人の写真を刻印したり、タイルに画像を焼き付けて貼り付けています。詳しくはこちら

日本ではなかなか受け入れられない文化のようですが、これら「遺影」の目的はすこぶる納得できるものです。曰く、
「今生きている世代にとっては、故人の姿は記憶に残っているだろう。しかし、未だ見ぬ将来の世代には、この写真でしか姿を伝えることはできない」。確かに、これらは石でできた「写真」ですから、燃やしても遺ります。破壊し尽くさない限り遺る。紙の写真よりもはるかに強力。

もう一つ面白いのは、これらお墓に遺す写真は、必ずしも老いた状態の写真ではないということです。年齢に関係なく、その人がもっとも誇り高くあった時の写真が使われています。だからこそ、それを次の世代に伝えたい、という要求に結びつくのでしょう。このあたりも、日本人の「遺影」に対する感覚とは大きく異なります。

何が違うのか? それを考えるにあたり、まずは日本における「遺影」の歴史をひもといてみよう、という次第で、『肖像の変遷からみる「遺影」の役割』となるわけです。