例えば、これらの記事に、遺影と「死絵」の関係が記されています。
「変わりゆく遺影―絵から写真に、そしてまた「絵」に」
「遺影写真の歴史と変化」

総じて、現在の「遺影」の起源が「死絵」にあるのではないか? という話です。「死絵」については、まずwiki情報を。また、画像検索すれば、いろいろ出てきます。
ざっと簡単に整理します。

種類・・・浮世絵。

用途・・・主に歌舞伎役者が死去したとき、その訃報と追善を兼ねて版行された。

特徴・・・役者の似顔絵に、命日、戒名、墓所、生前の業績、辞世、追善の歌句などが記される。多くは死を表象するために様々な工夫を凝らしている。まず特徴的なのは特有の姿で、よく見られるのは水裃と呼ばれる浅葱(水色)の裃姿である。

時期・・・幕末を中心に江戸時代後期~。明治中期まで盛んに行われた。現存最古の作品は、安永6年(1777年)に没した二代目市川八百蔵のものとされる。明治以降は絵葉書、ブロマイドが流行し、昭和10年(1935年)の初代中村鴈治郎のものを最後に廃れていった。

こんな本もあります。主な解説内容はwikiと共通しています。

大学共同利用機関法人
人間文化研究機構
国立歴史民族博物館。2016年。


浮世絵についてはこちら。歌麿や写楽は「中期の終わり頃」、北斎や広重は既に「後期」の範疇に入るのですね。なので、死絵を浮世絵に例えるのなら「役者絵」というカテゴリーに絞ったほうがよいかもしれません。

役者絵はこちらに、「歌舞伎役者や舞台そのもの、書割、大道具、小道具、歌舞伎を楽しむ人々などを描いた浮世絵を指す」、そして「役者が没したときに売り出された死絵(肖像に没年月日、享年、辞世などを添える)も見逃せない」とあります。

死絵にも詳しい国立歴史民族博物館の山田慎也さんによれば、「浮世絵(役者絵)は、生きている人を描くのが基本でしたから、亡くなった人を描く「死絵」は特異なものと考えてよいのです。しかも、後の研究者やコレクターの間でも、縁起が悪いというような感覚があり、いわゆる役者絵よりもランクが低い、いやさらに価値のないものとして扱われてきた歴史があります」とのこと。山田さんは、こうした死絵の死絵の意味や価値を再発見した方です。

話を元に戻すと、死絵は、役者の死を今で言うファンに知らしめる目的で作られました。だからこそ、生きている役者の絵と同列にならないよう、役者が死んでいることが分かる表徴がそれとなく描かれることは必須であったはずです。

これを現在の写真による「遺影」に例えるなら、画像合成による「紋付きなどの衣装」への着替えや、なんとなく俗世とはちがう「背景」の差し換えなどによって、遺影は「遺影」らしさをもつ、ということもいえるかもしれません。また、「死+絵」と「遺+影」の字面が意味内容的に似ていて、共に、亡くなった人の肖像のことですから、遺影の起源を死絵に求めれば、相応に納得できるような気はします。

しかし現在、「遺影」をブロマイドよろしく遺族や関係者の人々に配るか? というと、そういうことは考えにくく、これらの肖像がもつ意味あいは決定的に異なるような気もします。

ちょっと余談ですが、この本の解説に、死絵の死の表徴として「亡くなった役者が描かれた掛け軸を画中画として描く」ことがあるといい、「近世以前の掛軸の肖像画は、基本的に死者を礼拝するために死後制作されることが多く、肖像画に描かれていることで死者であることを暗示していた。」とあります。いわゆる僧侶(頂相という)や大名、武将の肖像画のことだろうと思うのですが、亡くなった人を顕彰したり、追慕する意味においてなら、死絵よりも、こちらの方が近い気がします。

ここまで来ると、そもそも、ここで考えようとしている「遺影」とは具体的に何を意味しているのか? を整理しておかないといけないわけですが、その前にもう一つ、「奉納画」というものを調べておきましょう。

—続く