昨年、国立民族歴史博物館の山田慎也さんに、供養絵額(奉納画)のことを教えていただきました。

供養絵額の例「岩手県宮守長泉寺 所蔵」
(『近代における遺影の成立と死者表象』山田慎也 2006年より)

 供養絵額(奉納画)とは、江戸時代から明治時代にかけて岩手県の遠野周辺で、戦死や産褥など不遇の死を遂げた人の遺族が画家に依頼して描き、寺院に奉納した板絵のことです。画家は故人の人柄などを遺族に聞き取りし、故人の希望を叶えたり、幸福だったろう将来を想像しながら描いたのだそうです。 つまり、死後も幸せでいて欲しいという遺族の希望を形にしたもの。
ただ、こうした供養絵額も、日露戦争以降になると一般的な肖像画や肖像写真に変わります。


 ネットで調べるといろいろ情報がでてくるのですが、一番は小嶋独観さんの『珍寺第道場』だと思います。
 この中の、『供養絵額/岩手県遠野市』
 そして、『ムカサリ絵馬/山形県村山地方』 
 なんか、小島さんってすごい。

 供養絵額については、さまざまな画像をこちらで見られます。
 ムカサリ絵馬については、wiki情報もあります。

 絵のテーマをおおまかに言うと、「死者はあの世で元気でいるよ」、です。この感覚は、『死絵』にも通ずるものです。ただ、『死絵』は、役者のファンに告知・販売する目的であったのに対し、こちらは菩提寺に奉納します。「寺」は宗教的なものですが、永遠を担保できることも動機としては大きいのではないかと思います。そう考えると、死絵も、多くの人に伝え、記憶してもらう、そしてなにより「絵」という物を大量に分散させることで永遠を担保することにもつながります。
 肉体は死んでなくなるし、記憶も頼りにならないけれど、形ある物としてあり続ければ、永遠に生き続けていることを実感できるはずです。

 もちろん、ただ生き続けているだけでは足りませんで、そこは最低でも人並み程度には幸せであって欲しい、という欲望がこれらの絵のテーマを決めていくことになるのでしょう。

 このように考えると、今の日本で「人並み程度の幸せを絵にする」としたら、いったいどのようなテーマになるのか・・。いわゆる価値観の多様化によって、国民的な共通事項としての「人並み」が見当たらないようにも思うんですよね。

 まだまだ続きます。