しばらく写真の歴史を。
今を遡ること178年前。江戸時代後期の1839(天保10)年、フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールの発明したダレオタイプと呼ばれる実用的な写真術が、フランス学士院で公開されました。これが写真の創始とされています。(細かなことをいえば、イギリスのヘリオグラフィーとかいろいろあります。)
ダゲレオタイプとは、磨き上げた銅板に銀メッキをし、ヨウ素の蒸気であぶって、感光性のあるヨウ化銀の膜を形成し撮影するものです。直射日光で10~20分の露光が必要で、撮影した後は水銀蒸気で現像、食塩水で定着します。鏡のような銀膜の上に光の当たった部分だけ黒くなる像が形成され、光の具合を調整して観察します。これは、複製を制作できない一点ものです。
写真の技術はオランダ経由で鎖国中の江戸にも入ります。ダゲレオタイプ発明から18年後の1857(安政3~4)年に、薩摩藩主である島津斉彬(なりあきら)がダゲレオタイプで撮影されました。これが日本における最初の肖像写真で、印影鏡と呼ばれていました。戦前まで鹿児島の照国神社で御真影として扱われていましたが、戦災で消失しました。(『岩波近代日本の美術〈4〉写真画論―写真と絵画の結婚』木下 直之 1996年)
島津斉彬といえば、今年の大河ドラマ「西郷どん」で渡辺謙さんが演じている方です。wikiには、「最も早く写真に撮影された大名であるといわれている。また撮影技術自体にも興味をもち、城の写真を自ら撮影するなど、好奇心に富んだ人物であったといわれている。斉彬が撮影した写真は、当時の技術では上出来であったと伝えられている。」とあります。
ところで問題は、成彬のポーズです。正面向きではなく、やや左側(本人にしてみれば右側)を向いていて、視線もそちら。これ、大名などの肖像画に似ていませんかね?
ことの真偽は置くとしても、カメラの前でポーズをとるにしても、絵画で描かれるにしても、お手本といいますか、何らかの「型」というのが必要なのでしょう。
閑話休題。
成彬がダゲレオタイプに収まった3年後の1860(万延元年)には、福沢諭吉がサンフランシスコで写真屋の娘と写真撮影をしています。これはダゲレオタイプではなく、複製可能な湿板写真と思われます。
確か『福翁自伝』に、この撮影の経緯が書かれていまして、現地にいる時はこの写真を撮影したことを誰にも知らせず、帰りの船の中で初めて公表したようなことだったと記憶しています。なんとなくちょっと厭味だなぁ、と。
湿板写真とは、1851年にイギリスのアーチャーが発明した技術で、感光材料であるコロジオン溶液をガラスに塗布し、濡れたまま撮影するものです。露光時間は5~15秒と短くなりましたが、「首おさえ」などで顔を固定する必要がありました。ガラス板を使うため1枚のネガ(種板)から多数のプリントを作成できるようになったことが大きな特徴です。ただ、感光材料を塗ったり現像するための暗室が撮影場所の近くに必要で、湿板自体の作り置きができません。
いわば、湿板を作ること自体が「秘伝」だったわけで、参入障壁が高く、大量複製が可能、ということで、湿板写真はまさにビジネス向けに有効な特徴を備えていたのです。
写真館の始まりに続きます。