「遺影」がもつ意味合いは、次の3つに分けて考えることができます。

1)遺族が故人を偲ぶ「霊的メディア」

身近な人が見る肖像は、他人が見る肖像とは異なる印象をもちます。遺品やお骨、位牌などに通じる意識で、多くの場合「霊的(宗教的)」な媒体となりえます。御真影は、これが国家的に強要されたものといえるでしょう。
また、エジプトのミイラ絵から現在の「遺影」にまで、遺族が故人を偲ぶ気持ちには、共通した思いがあることは確かです。たとえ、その正当性や正統性に疑念があったとしても、人々の心に追慕の気持ちが生じる事実には異論をはさみ込む余地はありません。

2)故人の死を社会的に伝える「告知メディア」

家族以外の地域、会社、友人知人にとっても、人の死の影響が及びます。ですから、故人の死は、家族の中だけに留めておくことができず、関係者に伝える必要があります。関係性によっては、故人の名前と顔が一致しないということもありえますので、ここに「遺影≒祭壇写真」の必要性が生じます。
古くは歌舞伎役者の「死絵」から、戦没者の告知および顕彰にも共通するもので、人が社会的な生き物であることをベースに、版画→写真→印刷、といった複製メディアの発達によって、より重要性を増してきたものといえます。

3)故人の姿を未来に伝える「記録メディア」

故人を直接的に知らない孫以降の世代、あるいは有名人にとっては後世のファンが、故人を具体的に描像するには、なんらかの具体的イメージが必要です。それは三次元的な像であってもかまわないし、二次元の絵画、イラストであっても構いませんが、科学的信憑性の高い写真は、もっとも正確だと思われる肖像になりえます。
ただ、例えば中国の墓に故人の写真が貼り付けられる文化と比較すれば、日本においては積極的に故人の肖像を未来に伝えていこうとする意識が希薄であるように感じられます。

ここで再び、「遺影」の歴史をひもといてみます。

一人一人の心の中では、写真および絵画「霊的メディア」として存在することは確かですが、あくまでこの感覚は家族や親族など、故人と近しい人が突然亡くなった場合に、その死を受け入れるためのツールとして強く必要とされるはずです。逆に、例えば自宅から老人ホームに移って長く地域との関わりがなくなり、家族との縁も切れたような場合には、この必要性は薄くなると考えられます。
次に、葬儀自体に、地域の人々が強く関係した時代では、故人が誰でどんな人だったかをほぼ全員が知っていたはずですから、「告知メディア」としての遺影の必要性はありません。むろん、当時は一般庶民が写真を撮れる環境にはなかったこともあります。しかし、時代が進み、国家による戦争によって亡くなるケースでは、国家的にその死を顕彰する必要があり、写真や印刷技術が活用され、故人の象徴としての肖像写真という意識的土台ができあがることになったのでしょう。

さらに時代が下り、人々の生活が地域から切り離されて、企業という新しい組織に組みこまれた時、故人とその周辺の人々との関係性が変わり、それほど密ではない人々による葬儀運営が始まると、故人がどんな顔をしていてた人かを見せる「祭壇写真」の必要性が増してきます。
しかし「祭壇写真」の必要性が増したとはいえ、大人、とりわけ老人が一人で写真に写る習慣は定着していませんから、集合写真やスナップ写真が「遺影成り」し、衣装や背景を葬儀に合ったものに「着せ変え」て急ごしらえの「祭壇写真」が作られていくことになります。
そして今、「終活」という考え方が少しずつ意識され始めているのは、極端に少子高齢化が進み、多死時代を迎え、地域も国も企業も家族すらも人の死の面倒を十分には見きれなくなってきた事実の裏返しでしょう。「自身の葬儀のために遺影を準備する」という考え方がでてくるのも自然な成り行きです。

遺影・考 1-現状は?で示したように、遺影をすでに準備している、または、現在準備中という人は全体の4%程度なのが現状ですが、葬式、墓、相続、といった「死」をめぐる状況が大きく変わろうとしていますので、「遺影」の意味合いやイメージそのものも、これから大きく変わっていくでしょう。