写真の整理をしている時に、ごく稀に「心霊写真」の類に遭遇することがあります。
職業柄、私自身はこれを信じません。もともと理系育ちというのもあるかもしれません。なので、心霊写真など自分で作って遊ぶ方が楽しい、と考えます。
にしても、人によってはこの本の写真すら怖い、とおっしゃいます。
紛れもない「作り物」「ニセモノ」だと分かっていてさえ「怖い」のです。その気持ちに嘘があるわけではありません。
心霊写真に心霊が写っているように感じるのは、
1)見えていないもの、見えるはずのないものが写っている時に、
2)その原因なり理由を、どのように説明すれば、自分の「腑に落ちるか?」、
に掛かっているはずです。
極端な分け方をすれば、理系的なアタマは「技術的」に理解すれば腑に落ち、文系的なアタマは「物語的」に理解すれば腑に落ちやすい、という具合に考えていいんではないでしょうか。もちろん心霊は「物語」に属します。
もっとも、理系アタマの私でも技術的に全てがわかるなどと豪語する自信はありません。なんでこうなったのかわからない写真も少なからずあります。そんな写真を見ていると、心のどこか奥底から、「これは心霊かもしれないよ、怖いよ」というささやき声が聞こえてきたりするのです。が、最終的には「これは偶然の重なりあいだ」というところに落ち着けようとします。明らかに自分で自分をだましているようなところがあるわけです。
最終的にわからない問題に対して、どのような落とし所をつけて自分の腑に落とすか。
先に、文系は「物語」、理系は「技術」、という分け方をしたのですが、「技術」だって、一つの(理系的な)物語ではあるのです。逆に、文系的な物語も、「物語る技術」というのがあって、稲川淳二さんの語りなんてのは、その技術の最高峰でしょう。本人が、どこまで心霊を信じているかは、かなり疑わしいと思わざるをえない芸術的な語り口です。
かつてのオウム事件を思い返せば、理系的な科学の「物語」を信奉しているはずの学者が、いとも簡単に神秘的な「物語」に引き込まれることがあったわけで、案外、両方とも同じコインの裏表くらいな違いなのかもしれません。超高度な科学技術はもはや神秘というしかないくらい理解不能ですし。
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ともあれ、写真の整理中に心霊写真と思しきものが出てきた時にどうすればよいか? が、ここでのテーマ。
すなわち、「心霊写真バスターズ」。
「心霊写真+供養」で検索すると、心霊写真を供養した上で適切に処分してくださるお寺や神社がいくつかヒットします。日本人としては、やっぱりこれが一番安心。霊は、宗教施設で正しく供養してもらえば、誰になんと言われようとも、「腑に落とす」ことできそうです。(ぜんぜん関係ない話題ですが、「お寺」ということはあっても「お神社」といわないのはなぜでしょう?)
ただ、これはどう考えても「文系的」な解決方法でしかないように感じます。宗教はどう考えても文系でしょう。
じゃあ、「理系的」な最終解決方法は? と考えると、基本的には技術で説明でき、それで納得していただければよいのです。が、全てが偶然の塊といか考えられない。手も足もでない、ということがままあるわけです。その時にどうするか? というのが、心霊写真バスターズ。手続きは下記の通り。
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心霊写真バスターズ
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心霊写真に関する悩み解決への決定打になるんではなかろうかと思う次第。
見て欲しいと思われた方は、ぜひご一報ください! マジです。
(久門)