撮影用背景の制作会社として業界トップに躍進した『ハーレー株式会社』

会社概要

主に営業写真館やホテル、結婚式場などで使われる布バックスクリーンや撮影小道具の制作および輸入販売の専門会社。現会長の深田年彦氏が1976年に東洋背景株式会社として設立。カラー時代と到来とともに、布バックのパターン、ヨーロッパ調バックが爆発的ヒットとなる。86年、社名をハーレー株式会社に改め、その後、越智秀人氏が社長に就任。現在、写真用背景の制作および輸入販売専門会社としては業界トップ。国内にはないカメラアクセサリーの輸入や、自社開発の製品にもユニークさが際立つ。

夢とバイタリティ

 就職氷河期と譬えられる今日、卒業を目前に控えた学生には少々恐縮であるが、越智氏の大学卒業時の話が面白い。

「カメラを手にしたのは小学生の2~3年頃でした。学校行事の写真なども私が撮影したりしてましてね。このころから写真は好きなんです。ですから、卒業時に旭光学からの募集を目にした時は、これだ!と思いまして。しかも、当時(初代)の社長である松本三郎さんも博多出身でしたから、これ以外にはないと確信したのです。

 ところが、募集されていたのは英文科。私は商科でしょう。いろいろ考え抜いた挙句、社長にね、英語を勉強する間、一年間待って欲しいって書いた手紙を出したのです。そうしたら、社長から返事が来まして、直接お会いすることができました。そして、入社。」

 運が良いというだけの話ではないだろう。ましてや当時が、現在よりものんびりした時代だったといえるはずもない。そしてまた、同郷だという事実が後押しとなったことは多少はあるかもしれないが、決してそれだけの話でもないはずだ。いや、こうした下世話な詮索よりも、入社してもいない会社の社長に対して一年待って欲しいと言う、ややもすれば暴挙とも思える行動には、越智氏のバイタリティと同時に、当時の社会が共有していた夢が反映されているように思う。もちろん、こうした暴挙に応え得た社長の度量にも、感服せざるを得ないけれど。

 果たして、現在の学生たちや会社社長、そしてまた社会全体のムードに、こうしたロマンあふれる暴挙を許す気構えがあるかと問えば、少し肌寒い。なにしろ、氷河期だからして、今の私たちはこの寒さを耐えしのぐしかない・・・のだろうか?

 いや、話はそうではない。おそらくは、こうした越智氏のバイタリティと強運が、ハーレー株式会社を業界トップに躍進させた原動力の一つであることは確かである。

職人画家。
越智秀人氏プロフィール
 1937(昭和12)年、博多生まれ。西南学院大学の商科を卒業後、旭光学工業株式会社に入社。カメラの検査から始め、サービスセンター勤務を経て、20歳台の半分以上をアメリカやカナダに赴任して過ごす。帰国後、ペンタックスの輸入部門を担当。ダーストやローデンストック、ジナー、ブロンカラーなどの機材と同時に、撮影用背景の輸入を手がける。88年、30年勤務した旭光学工業からハーレー株式会社に移り現在に至る。
浮間ケ池を擁する浮間公園のそばにある本社。
写真用背景の絵は横向きに描かれる。画面右が背景の上部である。

物作りと市場作り

「何が面白いって、自分で考えたマーケットができ、その成長を見続けることができるのが、商売の醍醐味ですね。物作りと違って、マーケットというのは人と人の関係ですから、少し言葉は大げさになるかもしれませんが、自分が考えているとおりに作ることができるのです。物を作るのには、さまざまな専門的技術や知識が必要ですけれど、それとマーケット作りとは、かなり違う要素があります。」

 越智氏は商科卒業であった。

 では、その物作り、商品である撮影用背景の制作現場とはいかなるものか問えば、これがまた面白い。作業場は、この本社の2階。絵を描いているのは4人。もちろん、皆、絵を描くのが好きでこの職についた人ばかり。カンバスの大きさは最大3.6×8メートル。写真用背景は縦長にして使うから、絵は横向き(!)に描かれる。エアブラシや筆、刷毛などを自在に使い、みるみるうちに巨大な背景画が浮き上がる。

「つらいとか、面白くないなどと思ったことなどありません。まあ、真夏は暑くて大変ですけどね。もともと絵を描くのが好きですから・・・毎日が勉強のようなものです。背景の絵は、写真家の先生方の注文や指定によりますが、すべて私たちの手描き。ですから、細かな部分には、それを描いた私たちの個性が宿りますね。直線が巧い人もいれば、風景など柔らかな線が要求される絵が巧い人もいたりね。パターンもので5~6年、絵のバックになると10年くらいやらないと、一人前にはなれません。」

 職人という以前に画家。つまりここは、4人の画家のアトリエなのである。そう気づかされた。そして、すべて勉強などという言葉を聞いたのは何年ぶりかと、しばし我が身を省みてしまった。

 さらにいうなら、おそらく彼らは、自身の作品である写真用背景を「売る」ことに関しては、かなり無頓着ではないかと、これまた自身を省みながら想像してしまったのである。だからこそ、商科卒業の、物作りではないマーケット作りをこの上ない喜びとする越智氏が、会社を牽引していく必要もあるのではないか。どちらが偉いとか大切だとかいうのではなく、お互いがお互いを理解し協力しあってこその、ハーレー株式会社という組織なのだ。そしてこうしたスピリッツは、戸田および群馬にある工場、そして大阪、仙台、九州にある営業所、ならびに名古屋、四国、静岡にある出張所においても貫徹しているはずだ。

 こうしてみると、このところメディアを騒がしている大手企業の不祥事は不祥事として、あれが全てではないと、少し元気を取り戻せるような気がする。

金属製の枠に張られた布地。巨大なカンバスである。
見本となる写真。注文によるオリジナル制作だ。
積み重なった塗料に歴史を感じる。
絵の具とさまざまな小道具。

写真から映像へ

「職業柄、いろいろな写真室などを見る機会が多いのですが、どんどん写真という言葉が消え、映像という言葉に置き換わっていますね。デジタル画像というのもありましょうし、ビデオなどの映像といった意味もあるでしょう。ですからね、これからは写真という言葉に捕らわれない方向に、少しずつ軌道修正していこうと考えています。写真館や結婚式場の写真用背景というだけではなくて、より一般化した形での映像用背景とか、小道具といったことになるでしょうか。」

 正直なところ、写真という言葉が映像に置き換わって、実質的に何が変わるのか。今の私にはそれが判らない。どちらも同じようなものではないか、とも皮肉屋の私は思ったりもするのだが、よくよく考えると、興味深い事実のいくつかを思い返すことができる。それはいってみれば、業界の縦割り構造とでもいうべきもので、コマーシャルや写真館やエディトリアルや報道といった具合に写真をジャンル別にすると、それぞれが全く異なる機材を使い、それぞれが全く異なった価値観を持っているという事実である。もちろん、全てが同じになる必要などありえないけれども、もしかするとこうしたジャンル分けが機能しなくなる時代は、意外なほど目前に控えているのかもしれない。プロとアマチュア、あるいは芸術と非芸術という分類もまたしかりであろう。

 越智氏と話をしていると、大きな大きな時代の変革期に差しかかっていることに、不思議と希望を抱けるような感じがするのであった。

ロールペーパー。

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新製品のPRO4 フォトシステム。4枚のフィルターを瞬時に交換できる。レンズ口径46~85ミリに対応。
撮影用小道具の椅子は、撮影用の寸法に調整されている。
たくさんの背景。