写真展開催の全ての作業を一任できる職人集団『フレームマン』

会社概要

 '58年、額装社として創業。'64年の法人化に伴い株式会社フレームマンに改称。額の製作から写真展企画まで、あるいは写真の保管や輸送などなど、およそ写真の展示に関する全てを一手に請け負うことができる。各地の美術館や写真ギャラリーをはじめ、カメラメーカーやラボ、写真家との取引も多い。読者の中にも、お世話になった経験のある方は少なくないはず。(取材当時)

職人の言葉

「ガクブチっていう漢字は、一般には額縁と書きます。この縁っていう字の糸偏をね、私が修行していた頃は木偏にするのが職人たちの習慣でした。当時の額は、木製のものが多かったからでしょうね。そんな字は本当はないのですけど。今でも、古い職人は使ってます。」

 業界用語とでもいうのだろうか? もちろん、現在の若い職人たちは額縁と書くわけだけれども、当時の額縁職人の誇りの現れをこうしたところに感じることができよう。ついでにいうなら、当時使われていた長さの単位は、尺であり、寸だったそうだ。これもすでに一般的ではなくなってしまっている。私自身、辞書を引いて初めて、一尺が十寸であり、かつ1メートルの33分の1であるとわかる程度でしかない。

 もう一つ。額縁屋の奈須田さんに、ぜひとも伺いたいことがあった。写真でいう六つ切りに近いサイズの絵画用の額には「太子(たいし)判」という名称がある。広辞苑にも掲載されていない、謎の言葉。

「その話は、現在の天皇陛下がお生まれになった頃に逆上ります。つまり、皇太子誕生でして、当時、それを記念して写真を配布したのです。その額縁の大きさが、現在の太子判になっているわけです。八0(ハチゼロ)判という言い方もしますね。こんなことを知っている人も、今では少ないでしょうねぇ。」
 即答である。蛇の道は蛇、といっては語弊があるが、まるで生き字引である。いや、これも少し語弊があろうか。

小手先でなく、全身で切っているような感じ。
奈須田恒夫氏プロフィール
 '35年、東京生まれ。絵の額縁屋で研鑽を積み、二人の仲間と三人で写真専門の額装社を創業。「絵の世界では、新規参入は困難だった」と控えめに語る氏だが、会社の右肩上がりの成長ぶりを見ると、これこそ先見の明だったといえよう。
最近では珍しい洒落た装飾の看板。
連携した作業がてきぱきと行われている。

華麗なる転身

 絵を描くことが好きだったという氏の学生時代。

「先生に命じられて、学校のポスターや新聞にもよく描かされましたから、それなりに巧かったのでしょう。それで、絵の勉強もでき、画家にも出会える額縁屋に勤めたのです。便所掃除から始めましたよ。夜が明けてから、全てが片づくまで一日中仕事。冬はたき火をしながら仕事をしていました。

 大晦日は集金。普通の家庭からは、紅白歌合戦が聞こえてくるのにねぇ。ハッピ着て、除夜の鐘をききながら集金に回っていました。」

 まるで絵に描いたような丁稚奉公である。絵の勉強どころではない。しかし、10年ほど勤める中で、額縁の製作から販売までの一通りはみっちり覚えた。そして独立。

「仲間と三人で写真専門の額縁屋を始めたのです。絵の額では新規参入が難しいと考えて、写真専門にしました。写真業界初の事業でしたね。始めは額装社という屋号だけでしたが、オリンピックがあって、大阪万博があって、ともかく右肩上がりの時代でしたから。作れば作るだけ売れました。」

 '60年代の日本の高度成長期。今となっては、そんな時代もあったのかと却っていらだちを感じてしまいかねないけれども、氏の会社にとっては強い追い風であったことは間違いない。写真という一つのジャンルにとっても、大きな変革期であり、成長期であったことも確かな事実である。

「法人化する時に、フレームマンという名前にしたのです。サントリーが寿屋だった時代です。額縁屋は、なんとか堂といった名前が普通でしたからね。なんだそれって、ずいぶん言われましたよ。」

 写真専門の額縁屋という発想もさることながら、フレームマンという社名自体にも、時代を先取りした感覚が宿っているのである。そして、フレームマンを直訳すれば「額男」であって、要するに、額に関することなら何でもできる、何でもやる、という会社の理念もここには隠されている。

 現在、額を製作する工場は三カ所。本社では、額装作業や営業の他、写真展の企画なども行う。さらに、巡回展などに使用される作品を保管するための倉庫も所有。もちろん、作品の輸送、搬入、展示といった具合に、写真展を開催するために必要なありとあらゆる作業を一手に引き受けることができる体制である。

 そしてもう一つ。関連会社であるプロフレームは、美術館などが所収しているアーカイブ作品を扱うために特化。

 もちろんであるが、業界最大手である。

手さばきの速さには驚く。
写真の裏打ちなどを行うプレス機。
額のサンプル
フレームマンが携わった写真展の数々の写真。
取材翌日の日曜日もスケジュールが・・・。

熾烈な戦い

 フレームマンでは、写真展示用の額の多くを独自開発し、製造販売もしてきた。中には特許を取得しているものもある。しかし、と氏は難しそうな顔をする。

「大手の企業は資本がありますからね。機械を投入して大量生産されると、もう絶対に歯が立ちません。ここで開発し製造した製品の骨格はそのままに、部分的にちょっとだけ変更を加えただけのものがいくつも作られました。だから、我々は、それらを額とは呼ばないで、枠って呼んだりしてるのですが。」

 苦虫の笑いである。しかし、資本主義経済である以上、致し方はあるまい。

「しかし、作品一枚一枚によって異なるトリミングに合わせ、数センチ、数ミリの調整を行うなどというのは、決して大量生産では不可能です。そしてなにより、数十年の経験をもった職人たちが完璧な仕上げをしますから、本当に長期に渡って保存・展示のできる額装になります。」

 創業当時より、土門拳さんや西山清さんら、有名写真家たちの御用達であり、なおかつ現在でも土門拳記念館などの額装も一手に引き受け続けているという実績は、確かに、氏の言葉の強靱な後ろ楯である。そして、「ここの社員の結婚式は全て、仲人を引き受けてきた」という氏の人情家ぶりには、職人の職人たる気質をかいまみるような気がする。まさに、58人の職人集団である。

社屋の外にまで額が山積みに
巨大なギロチンカッター
事務方の机