感光材料の性能を最大限に引き出す『ドイテクニカルフォト』

会社概要

 大阪万博の前年である1969年、当時はかなり特殊だった大型プリント処理を専門に行うラボとして港区麻布に創立。現在の板橋に移転したのは87年。現在、デジタルプリントを含め、高品位な写真プリントのラボとして極めて高い定評がある。(取材当時)

※当時のドイテクニカルフォトのメンバーの多くは現在、赤坂でフォトグラファーズ・ラボラトリーを運営しています。フィルムカメラで作品作りをされている方はぜひ、この現像所に足を運んでください。内部のようすはこちらからVRパノラマでご覧いただけます。

プリントクオリティの絶対値

「感光材料の最高の性能を引き出すこと。これが、私たちの仕事の最大の目的であり、使命なのです。」

 という、那須川氏の自信に満ちた張りのある声に、実を言うと私は、一つの不可解を覚えた。なぜか?

 プリントの品質の善し悪しは、それを見る人の気持ちの問題だとする、いわば感性を優先する思想が片方にある。感性を優先するという言い方が不適当だとするなら、その価値は相対性に委ねられているといっていい。こうした考え方は、もしかすると、多くの若手の主流ではないかと、もはや若手では決してない私は思う。

 氏の発言には、こうした感性を優先する軽やかな(?)思想に、重い楔を打ち込むような印象がある。だからこそ私はここに、同時代人としての不可解さを見てしまったのかもしれない。

 氏は、明らかに、プリントの品質に絶対値を見ている。しかもその物差しは、自分の感性に由来するのではなく、感光材料の性能という理論的基準に支えられたもの。ここには、「私の感性」が表立って主張できる余地はない。

 しかし、氏とその先輩たちが取り組んできた、高品質プリントへの情熱とその仕事の内容を伺うにつれ、冒頭の氏の言葉にこそ、これから先のデジタル時代をも支え、そしてその遥か先を見越すことができる視座を見いだすことができるように思う。

那須川富美男氏プロフィール
'55年、岩手県生まれ。写大の研究室を経て、暗室助手として入社。著名写真家のビンテージプリント、および写真展や写真集用のプリント制作を数多く手がける。現在、技術所長。9月に自作ピンホール写真の個展を開催予定。
右側の看板の写真は、通常のカラープリントに防水加工を施しただけ。銀塩プリントならではの耐久性。

「特殊写真」という世界

「今、ほとんどの特殊写真がデジタルに移行してきましたが、従来は全ての処理を手焼きのマスキング技術で行っていました。マスキング技術とは、感光材料のセンシトメトリー特性を活かして、さまざまな特殊効果を得ることです。デジタルのレイヤーと同様の考え方ですね。しかし、長年、感光材料の特性を肌で感じた技術者が、レイヤーを操作していますので、その品質には自信があります。」

 いきなり専門用語の羅列と感じられるとすれば、それは単純に暗室作業の経験のなさによるものであろう。おそらくは写真の暗室の中でしか聞くことのない言葉たち。

「こういうと差し障りがありますが、かつての感光材料は、現在のそれとは違って、色調や階調の再現性に大きな限界がありました。全体の調子を保とうとすれば、ハイライトやシャドー部分などの描写が悪くなったりね。これを補うために、いわば特殊技術であるマスキングを作成して、最大限に美しいプリントを仕上げていくわけです。」

 差し障りを気にせずに考えてみよう。つまり、当時メーカーが作っていた最高品質の感光材料では、表現できる範囲が狭かった。しかし、当時の最高であるから、その性能をまず100%とおく。氏らドイテクの技術者たちの仕事とは、その100%の不足(!)を補い、完璧な品質のプリントに仕上げることを目指しているわけだ。単純にいえば、200%とか300%にするといっていいかもしれない。

 しかしおそらく、氏はこういうに違いない。それが感光材料の最高品質、つまり100%なのですよ、と。だからこそ、ややもすれば、そこに氏ら技術者の存在を見失いかねない怖さがある。「私の感性」が表立って主張する余地がない、とはこういう意味でもある。

「写真家によっては、なかなかOKがでないこともありましてね。その問題点を私自身で理解できるものはよいのですが、理解できない内容になると、本当に四苦八苦します。しかし、ここにいる技術者たちのチームワークによって、決められた時間内に最高と思える結果を出すことができるのです。一人では、とても無理。」

 数をあげればきりはない。いや、もとより数の問題ではないのだが、ありとあらゆる有名写真家たちの数多くのプリントは、ここドイテクの中でこそ生まれることができたものだったのである。そして、数多くの写真家や作家たちとの共同作業を経験した上で、氏はこうも釘を指す。

「いくら難題を吹っ掛けられてもいいのですが、その根っこの部分がしっかりしていないと、とても困りますね。最近、特に若い人たちの中に、そうした印象を持つことがあります。感性だけでものを言うから、そうなるのでしょうか。理論は理論としてしっかり理解しておいてほしいですね。いや、それ以上に、自分が表現したいのは何かを自分自身ではっきり把握しておいて頂きたいと思うこともあります。」

ドイテクが携わってきた写真展や写真集などのほんの一部。大御所の名がぞろぞろ。
大型プリントを引き伸ばす、まるで機関車のような引伸機。
修正なども行う検査室。机と壁は透過原稿用ビューア。
修正なども行う検査室。机と壁は透過原稿用ビューア。

絵師と刷り師の、よりよき関係を目指して

「あくまで、写真家と暗室技術者の共同作業ですから、お互いに意見をすり合わせたり、ぶつけ合ったりするコミュニケーションが基本になります。そうした中で、現在、中堅どころの著名な写真家の多くは、私たちと写真家との関係をよりよく後進に伝えてくださるようになってきました。」

 というのも、かつて暗室の技術者は、習慣的に縁の下の力持ちとならざるをえなかった時代が長く続いたのである。暗室技術者たちの、「私の感性」が表立って主張する余地がない、という言葉の裏には、こうした現実も裏書きされている。

 しかし、従来より欧米ではそうであるように、写真家と暗室技術者(プリンター)は、同じクリエーターとして同じ土俵に立ちうる仲間であるべきなのである。そして、このような写真家と暗室技術者の対等な関係が、日本の中堅の写真家たちの中から改めて見直され始めていることは、注目に値しよう。

 影の仕事は、いずれ日の目を見る時がくる。これは時代の流れが証明している。そして時代は価値観を大きく変える。

「絶対数は少ないのですが、今でも時折、バライタ紙のプリントなどを志したいという若者が門戸をたたくこともあるんですよ。」

 時代がいかに変わろうとも、人の目に触れる場所に、必ずや長い歴史によって育まれた技術とセンスを反映した写真プリントがあり続けることは確かである。もはや、デジタルか銀塩か、という問いかけ自体が意味を失効しつつある現代なのである。

カラープリントのレタッチ用の染料など。
デジタルプリント(LAMBDA)も導入されている。
那須川氏はピンホール写真の作家の顔を持つ。