特注トランクの老舗メーカー『石川トランク』
会社概要
大正9年創業。各種計測機器や音響機器などの特注トランクメーカー。全てオーダーメイドのトランクは、自衛隊、原子力施設、人工衛星やロボットの開発機関、放送業界、金融機関などなど、ありとあらゆるシーンで使われている。写真家の機材や仕事に合わせて制作されるカメラ用トランクも定評が高い。(取材当時)
CADを駆使する営業マン
ほとんどの読者には常識であろうが、CAD(キャド)とは、コンピュータを使った設計システム(computer-aided design)のことである。つまり、この場合を具体的にいえば、主にアルミ製トランクをコンピュータを使って設計することを指す。
ここまでは、分かりやすい。ただし、それを行うのが設計部門ではなく、一人一人の営業マンの仕事だと聞くと、一瞬、耳を疑う。そして次に、その必然性を考える。
石川トランクは、特注専門のメーカーなのである。さまざまな顧客の異なる要求に、手早く的確に応えるには、営業マン一人一人が、製造部門とのパイプ役となり、細かな要求に応えるための製品を設計できる者であるに越したことはない。
道理といえば道理。しかし、それは決して生半可にできる仕事ではないだろう。
「いや、実際のトランク作りには、そうそう新しい技術は登場しませんから。それに、私たちのトランクに求められるのは、まず機能です。機能を抜きにしてファッション性に走ることはまずありません。逆にいえば、私たちにとっては、機能こそが美なのです。」
こう語るのは、営業課長の位田氏。トランク設計のノウハウは全て入社後に学んだという。そして、氏を含む営業担当は全て、それぞれ得意分野の受け持ちがあり、顧客との打ち合わせ、デザインの提案を含む設計までを行う。だからこそ、細かな要求に応えられるオーダーメイドにも関わらず、納期は2週間から1カ月程度。
理屈は理屈として、分かる。しかし、営業マンが設計を行うというのは、やはり余分な業務が増えるに等しいはずである。
水を得た魚のような
位田氏は、カメラやレンズについての話を始めると、時として終わりが見えなくなるほどの、マニアといっていい。もともと、父親ゆずりの写真好き、カメラ好きでありながら、かつて写真撮影スタジオのアシスタントという経験もあるからか。しかしそれだけにとどまらず、この仕事に就いた以降に付き合いを始めた写真業界の人々との間で育まれた知識もはるかに多いだろう。営業先で写真談義に数時間を費やしてしまうことも、稀ではないというから。
「もともとこの会社は、就職情報誌で知ったのです。そろそろ定職を見つけないと、と思い始めた頃ですから、髪の毛も長かったまま面接を受けました。ですから、私のような者を入れたのは、会社としても冒険だったでしょうね。」
と、照れくさそうに話す氏は、現在、写真業界のほとんどの受注を一手に受け持っている。本来のカメラ好きが、写真家という顧客と、トランクの製造部門を直接に結びつけるわけだから、話は速い。それどころか、痒いところに手が届くような使い勝手のトランクが出来上がるのは、当然の話である。
「写真家によって、カメラとレンズの組み合わせに違いがあり、それらの使い方にも違いがあります。そしてトランクを、机やイスや脚立がわりに使う方もあります。そうした個々の要求を十分に満足できるはずです。もちろん、制作後の改良や変更、修理にも対応しています。」
ただ、業務全体でいうなら、写真業界そのものの受注は案外小さいのだそうである。
「一番多いのは、特殊機械やハイテク機器のメーカーの計測機器用のトランクです。人工衛星のソーラーパネル用として作ったものは、各辺が3メートルほどもありました。そのままではトラックに乗りませんから、斜めに搭載したりして・・・。それから、人の形をしたロボットの本体や制御部のケースも手がけたこともあります。」
それぞれが一点ものの、しかも中に納められる品々を価格でいうなら数十億、いや数百億円以上か。もちろん、それだけ設計にも制作にも神経を使う。
「大変といえば、とても大変。二度とやりたくはない、と思えるくらいです。しかし、こうした仕事の度に、トップクラスの技術者と直接お会いして、さまざまなお話を伺えるのは、とても嬉しいことですし、名誉なことだとも思っています。」
うむ。なんだか、この人、好きなことばかりやっているような気がする。それで仕事も趣味も万事上手くいっているのだから、うらやましい限り。水を得た魚とは、氏のようなケース(?)を指す言葉ではないかと、正直思う。
トランクが写し出す歴史。
石川トランクの創業は、大正9年。今年で82年目。創業者である石川富明氏は、もともと行李(こうり)や葛(つづら)を作る職人であり、当時の製品は、洋行の際に用いるワードローブとして使われていたらしい。もちろん、力士が場所入りの時に持ちこむ明荷(あけに)は、こうした行李に漆を塗って仕上げたものであり、だから富明氏も力士の後援会などにも関わっていた時代があったという。
そして時は昭和に。二度の大戦を迎える頃になると、一般人の洋行などできなくなる。しかしこれが運良く、軍用の行李という新しい需要に支えられる。鉄板やファイバーで張られた行李のいくつかは、蚤の市で発見されたりして現在も社屋内に保管されている。
戦後しばらくの間は、閉業状態だったというが、昭和24年頃からは横須賀の進駐軍向けのアルミケースが爆発的にヒット。その後の経済復興と共に、一時は200人以上の従業員数を数えるまでになる。
そして現在は、誰もが知る経済状況である。アルミ製のトランクは、コスト的に見合わない場所では段ボールに様変わりしつつあるとか。しかし、カーボンファイバーなどの新素材や、新しい緩衝材などの採用、さらにはソフトケースへの展開なども含め、明るい話題にも事欠かない。
トランクは、とどのつまりは入れ物であって、中に入れる物があってこその資材である。しかし、この世に貴重品がなくならない限り、トランクは形を変えながらもあり続けるであろう。それは、被写体がなくならない限りあり続ける写真のようでもある。